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というわけで、LastGunshotが私の提出作でした。
参加者様方の読み応えのある後書きや主催者様の編集後記などもありますね。すごいですね。
自ほめぱげでの単品公開はする予定ですが、内容追加の予定は無いです。あってもおかしくないですか?(不具合があれば修正はします)
続きを読むの先に後書きの後書きがあります。
後書きの後書き
振り返って見るに
振り返って見るに、私(作者)の体験が色濃く出ている気がします。
以前、父の遺品を整理したんですよ(月額課金がないかとか)(この懐かしい銀行の現在の受付窓口どこォ!?)
故人の人権……という顔になりながらやっていたんですが、つまりそういうことです。
とは言うものの、父へセクハラは私はしねえよ。
テーマ的なところ(今回の場合は「手紙/辞書と人物の関係性」「遺品整理」)を私の萌えと合体させるの、私の悪い癖だな!?
あと、ゆるふわファンタジーだからって、鞄をまるごと分別せず捨てろというのは無茶では? 有毒ガスとか出ない? 水筒とか爆発しない?
「中国語の部屋」について*1
また、「中国語の部屋」の思考実験、あれからも影響を多大に受けています。辞書が公平なものでなかったら?
これを変形して、「文通相手が手紙に真実でないこと(故意でなくても、見栄など)を書いていた場合、手紙の受け手(自分)が見ていた人物はどこにいるのか?」(文通相手の実在性)(これは私独自の用語です)ということを私は時々言っているのですが(さほど言っていない)
あらゆる交流は、本質的には文通と区別できないはずです。(極論)
たとえばゴースト(架空のキャラクター、オフで会ったことのない知り合い、etc)へ何かしらの感情をユーザ(受信者)が抱いたとして、ユーザの気持ちは描かれている人物に対するものか? 作者に対するものか? みたいなことを考え出して私は今も泥沼にはまっています。あなたもはまるとよいのでは(提案)